フライングディスク競技、アルティメットの特殊なルールがある。
それは「セルフジャッジ」だ。
アルティメットはルールとして「いかなる選手も意図的
にルールを破ることはないという前提」の元に、セルフジャッジ(自己審判)制を採用しているスポーツである。
スポーツあるあるである、「審判が見ていなければ何をしてもよい」という理論が全く通用しないどころかありえないのである。
そのため選手は競技者でありながら審判であるという役割を担っており、
スピリット・オブ・ザ・ゲームという各選手のフェアプレイを行い、試合(ゲーム)をプレイヤーを始め、試合に関わる人に対して円滑に進め、気持ちよく参加できるように責任感を持つという精神を重要視、必須としている。
セルフジャッジだと絶対ズルをするやついるじゃん!という話題はほぼ100%の確率で発生する。
しかしアルティメットは前提として審判の役割もになっているのでズルしないことがアルティメットであるため、ズルをすればそれはもはやアルティメットとは言うことはできないだろう。
セルフジャッジのデメリットもある。
人間は自分の見たいものしか見ない生き物なので、自分にメリットのある見方しかできない。
そのためオフェンス、ディフェンス、当該プレーに関わっていないプレーヤーなど立場が分かれると、見方は立場の数だけ変わる。
例えば、オフェンスがディスクをキャッチして、ラインを踏んだのか踏んでいないのか、がよく起こる。
オフェンス側はインラインを主張、ディフェンス側はアウトバウンドを主張(アウトバウンドとなればターンオーバーとなり攻守交代となる)
最終的には議論をする時間が決められ、その上で当該プレーの判断を行うが、上記のような場面では審判がいないことでのデメリットが生まれる。
議論が増える、議論が増えるとプレーが止まり観客も退屈になる、議論したからと言って納得ができないこともありフラストレーションがたまる、などがあげられる。
しかしこのセルフジャッジのルール、お互いに気持ちよくプレーをするためのスピリット・オブ・ゲームの精神により、アルティメットは他のスポーツとは一線を画すスポーツに進化する可能性がある。
アルティメットのセルフジャッジで身に付く考え方
他の競技スポーツは相手を打ち負かすことを良きこととしており、(資本主義社会において勝っていくことは非常に重要なことではあるが)
お互いを尊重し、お互いが気持ちよくゲームを楽しむことができることをルール化している団体競技は他にはないだろうと思う。
他のスポーツの良いところはたくさんある前提で話すが、
審判が見ておらず、自分たちの利になるならば何をしてもいいと言われてもおかしくないような場面に遭遇することがあると思う。
しかしアルティメットはお互いが審判であることにより相手のメリット、自分たちのメリットを考え、それでも客観的に判断することが要求されるため
現代のダイバーシティ、多様性のある社会を目指すためにもお互いを尊重するという態度が身に着けることができると考えている。
アルティメットをすることで勝ち負けの重要性を学びつつ、勝つために努力する姿勢や自分を成長させるために必要な習慣を身に付けることができる。
それだけではなく、審判としてお互いが気持ちよくプレーすることを意識して進めることで、ゲームを円滑に進めるためのスキルや議論の方法も学ぶことができる。
さらには選手として、審判として二つの立場から常に自分をコントロールする必要もあるため、自分の感情に意識を向け、気づくことができるようになり、自己コントロールのスキルも高めることができるのである。